2010年度、早稲田大学日米研究機構は設立から4年目を迎えました。
日米研究機構は従来の人文科学の分野の研究に留まらず、政治、経済、文化、歴史に関する総合的・包括的な現状把握と分析を行い、問題解決に向けての政策提言をなしうる、新しいタイプの研究機関です。当研究機構では、米国(米大陸諸国を含む)と日米関係をグローバルな視点から捉えるため、A)米国社会、政治、経済、文化等、B)環境、資源エネルギー、C)国際協力、D)安全保障、E)グローバル・ビジネスの5つの研究グループが研究活動をしています。更に、新しい研究分野を開拓すべく、幅広い分野の研究者を結集させ、国際社会、特にアジアにおける日本、米国(米大陸諸国を含む)とのパートナーシップのあり方を戦略的に研究し、政策提言に結びつける研究機関を目指しています。
日米研究機構は、今後とも21世紀の国際社会の中における日本と日米関係のあるべき姿を追求、提示していく所存です。
早稲田大学に日米研究機構が設立された背景には、次のような大学と米国の交流の積み重ねがあります。早稲田大学は、過去半世紀に亘り、アメリカ各州から多くの留学生を受け入れてきました。特に別科としての国際部は、約50年の間、毎年100人から150人の留学生を受け入れ、アメリカ人留学生に日本学を学ぶ機会を作ってきました。現在、早稲田大学が協定関係を結ぶ大学・研究所は539校あり、この中でアメリカの大学・研究所は、約100校にのぼります。
更に「日米」の関係を考えるとき、「日本学の祖」と云われた角田柳作先生の存在を思わずにはいられません。角田先生は「東京専門学校」と呼ばれた時代の本学で、坪内逍遥、大西祝、アーサー・ロイドといった人々の教えを受けました。1896年に卒業されると、京都、福島、仙台での教員生活ののち、ハワイへと旅立ちます。その後、アメリカ本土へと渡り1964年に亡くなるまでのほとんどの時間を、ニューヨークで過ごされました。先生がアメリカで残された業績は、在籍されたコロンビア大学で「“Sensei”と言えば角田先生のことを指す」という言葉に象徴されるように、たいへん偉大なものであります。1930年代以後のアメリカにおける日本研究者の多くが角田先生の教えと影響を受けてきたといってよいでしょう。角田先生が教えた学生の中でも、コロンビア大学に残ったセオドア・デュバリー教授とドナルド・キーン教授は、先生の見識の広さを吸収し、その後、角田先生と同様に米国における日本学を発展させた教授として、つとに有名です。
また、同じく早稲田で学び、1894年に渡米した朝河貫一博士は、イェール大学で歴史哲学の博士号を取得した後、同大学で36年に亘って教鞭を取り、日本の歴史を米国民に紹介しました。第二次世界大戦前には、ルーズベルト大統領を説得し昭和天皇宛の親書を作成してもらうべく努力する等、日米開戦の危機を回避するために尽力した人でもあります。
こうした早稲田の偉大な卒業生たちが、米国における日本に対する理解を促進し、日米関係の健全な発展に多大な貢献をしてきたことを誇りに思います。
日米研究機構長 吉野 孝
